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A◯B48 おっぱい祭り! uHir9wfI

 投稿者:おっぱい オッパイ uHir9wfI  投稿日:2013年 6月22日(土)00時18分14秒
  おっぱい祭り開催中!! さ◯こ登場!

http://8615.teacup.com/kechakecha/bbs/smartphone?M=JU&JUR=http%3a%2f%2ftiny%2ecc%2fje20yw

 
 

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 9月11日(土)00時18分22秒
  私は日本に帰ることを、考えていた、それで帰ったらアトリエを持とうと考えていた。そして美術のコンクールに応募しようとも考えていた。それが私の底、ターニング・ポイントだった。私はそれを希望と思い、日本に帰ることを決意したのだった。私の生きている意味は、そこにある、底から離れては私は自分を見失ってしまう。今回そう強く感じた。それは十年前、タイのチェンライ出の出来事だった。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 9月 5日(日)23時12分28秒
  二十三歳くらいの時に、SMのショーパブで働いていた。そこで私はタダさんと「TWO」と言う店を出して、営業をした。結局部長の怒りを買い、金を請求された。支払ったかどうか覚えていない。その頃は借金だらけだった。それが落ち着きのなさともつながっていた。私はすばやく店を辞め、地方の温泉に住み込みで働くようになった。セイシさんとはその頃知り合った。何度か添い寝をしたが、私は彼女に地方に行く事になったとだけ、電話して知らせた。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 9月 5日(日)01時18分43秒
  ある時、あっ子ちゃんがやって来た、家の玄関に来て挨拶をした。二階に上がり、私はハヤイノで寂しかったのだと思う。布団に一緒に入り、私は手を出さずに、ただ一緒になって寝ていた。彼女は行った、イサム君てウサギみたい、寂しくなると死んでしまうのだと、私はセックスと言えばアダルトビデオしか知らず、何をどうしていいのかわからないでいた、それに仮性包茎だったし、やり方もわからなかった、童貞だった。ハヤイノの切れ目も影響して、私は彼女と一緒に布団にいるだけで満足だったのだと思う、彼女は私好みで、やせていてかわいかった。ヒライの駅を通ると今でも思う、彼女と偶然出会わないかと。彼女はその後、私の家に来ることはなかった、と言うか私が姿をくらませたから・・。一度タダさんのところに一緒に行こうと誘ってみたが、当惑した様子だった。ある時彼女の家に、団地のソバで車を停めていて、私は鼻毛をいじった、それを彼女はビックリした様子でみていたのが印象的だ。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 8月29日(日)22時55分5秒
  中学の頃だったか、近所に駐車場があった。今は公園になっている所である。犬の散歩をしていて、私は散歩をしているフリをして、その駐車場にじっとしていた。その駐車場にはエロマンガがあって、それを見て私は興奮していた。何か光る丸くて大きな物のイメージが未だに私に付きまとう。犬、リリィーは散歩したくて仕方ない、と言う様子だった。しかし私は、その駐車場でずっとかがみ込んで座り、時間をつぶした、あたかも散歩をしてると親にはそう思わせた。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 8月29日(日)00時30分38秒
  今日浅草に行ったら、観光客がたくさんいた。私はそれで十年前タイやアメリカに行っていた時の事を思い出した。アメリカでは英語が話せなかったから、現地の人と話す事は殆ど無かった。一度バスで接触した男性がいたが、愛想も何もないものだった。日本人とも会った。バスの席で話をしたのを覚えている。
タイではバンガローに住んでいたが、隣はヨーロッパ系の男女だった。夜になると女のあえぎ声が聞こえてきた。とても美男美女で、モデルの様だった。
今日浅草を歩きながら、あの人たちも夜の営みをするのだろうな、とうらやましく思った。
 

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 8月21日(土)22時51分21秒
  盆踊りに行ったら、昔の子供の時の事を思い出した。今は近所の公園でやっているが、以前は町会の所、狭い所でやっていた。今は立派な家が建っているが、土の上に石の敷物が並んでいる、田舎風情の路があった。そこは今はきれいに舗装されているが、昔は暗い雑木林だった。そこを肝試しということで、浴衣の女の子と手をつないで歩いた。暗い路を手をつないだ、その生暖かい感覚、今でも覚えている。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 8月18日(水)21時43分38秒
  ハマザキさんとは、ホテルオークラでバイトをしている時に、出会った。彼は社員でバーテンダーだった。私は彼に色々と面倒をみてもらった。家に、彼は松戸にある寮に住んでいたのだが、泊めてもらったり、アルバイト先、銀座の店だがそこで飲ませてもらったり、シェイカーを振らしてもらったり。半年の付き合いだけだったが、密度が濃かった。私はハヤイノにおぼれて、自分を見失っていた。ケーキバイキングがあって、あまったケーキを持って客室の係りの人にあげて親しくなり、仲良くなった子とかとも一緒に銀座のバーで、カウンター席で飲んだ覚えがある。ハマザキさんにたまには女の子紹介しろよ、みたいな事を言われたこともあった。アルバイトを辞める時、栗を買ってマネージャーに渡すと、ウチハラにあげろと言って拒否された。調理場にあげると、笑っていた・・料理長が・・。あんな物をあげるのは失礼な事なのだ。箱に入った物を、あげるべきだった。そして、辞めてからオークラの人とは交流が無くなった。新聞配達に住み込みで働き始めた。実家の二階に住んでいて、求人雑誌を見ながら、日が入ってきているその奥の部屋で、白金の新聞配達を選んで、無一物で働きに行った。そしたら布団くらい持ってきなさいよみたいなことを、おかみさんに言われた覚えがある。広尾の駅に自動車で迎えに来てもらった。付き合い、オークラの付き合いは、それと同時に切り捨ててしまった。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 8月17日(火)20時41分21秒
  二十を過ぎた頃、私は何の仕事をしていたのか・・、多分オークラと新聞配達の頃だったと思う。友達がレコファンに勤めていて、私の部屋に遊びに来た。始めは草を吸い、電車に乗る途中でLを口に含む、その様なコースだったと思う。ケン・イシイのDJするクラブが新宿にあって、オートマティクスと言う、今は確かない所だった。そこでは私は踊りながら、まわりにいる女性を触っていた。痴漢をしていたのである、踊ってるフリをして手で尻を触ったりしていた。まわりの女性はそれに気がついて、体を離した。大勢の人込みだった。それも過ぎ、人気が無くなった頃、最後の方でデニムシャツを着た女を見かけた、黒いブーツをはいていた。細身の体で私好みだった。踊らないでただ立っていて、音楽を感じているような感じだった。その女性とは表参道のマニアック・ラブでも会った。目が合って、これはいけると感じた。しかし私は声をかけることができなかった。友達の女性一人と一緒で、ある時白いシャツを着ていた、その時背後に回り踊ってるフリをして、彼女の体に触れたのを覚えている。彼女はそれに反応した。新聞配達をやってた頃、ミヤチに頼んで、彼女と一緒に来てもらい、声をかけようとしていた時もあった、しかしその日は姿を見せなかった。モデルの様な顔立ちの女性だった。何故自分で、声をかけられなかったのだろう。  

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 投稿者:ユダ  投稿日:2010年 8月15日(日)23時40分47秒
  中学の時だったと思う。親せきが泊まりに来ていて、私はよるビデオを見ながら、自慰をしていた。すると親せきの一人が、戸を開けて何をしてるのと聞いて来た。私は慌ててビデオを消し、ごまかした。親せきは戸をへだてて隣の部屋で寝ていた。たしか用まで私は寝ていて、気まずかった。自慰の仕方は、仮性包茎だから、枕、座布団を二つ折りにして、その間にタオルを挟み、ペニスを入れて腰を動かすと言うものだった。  

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